中年女が中国で暮らすって!?

中国に関心も興味もなかった中年女が突然中国で暮らし始めました。

広州に住もうと考えた理由

 

 

  広州という都市について全くの予備知識がなかったわたしは、その都市としての規模の大きさ、食事の美味しさ、意外とのんびりして自由な雰囲気、そして人が素朴である点に嬉しい誤算を覚えました。

 

 

食事が美味しくて、「わたしここに住める」と思った 

 

食は広州にあり(食在广州)と言われますが

 

  食事は口に合わなければ長期間の滞在は苦痛です。それが美味しいなら、イコールそこに住めるということ。単純なロジックですが、海外を旅行して初めて「わたしここに住める」と感じたのでした。

  特に初めての湖南料理は気に入りました。おそらく多くの日本人は好きだと思いますが、湖南料理は塩分と唐辛子多めの料理でビールにも良く合い食が進みます。湖南省広東省の北側に位置しており、広州には湖南省出身者も多く湖南料理のお店も充実しています。

 

 

中国語でキャリアアップできると思った

 

  広州滞在中、友人が自宅近くにある華南師範大学のキャンパスを散歩に連れて行ってくれました。そこは老人が小さな子供の手を引いて散歩しているようなのどかなところで、大きな池や芝生があり、都市の公園のような環境でした。語学留学していた友人は別の大学に通っていたのですが、わたしは華南師範大学の雰囲気がとても気に入ってしまったのです。

 

  当時わたしは貿易事務をしていました。駅前留学で磨いた英語でホームステイやショートステイも経験し、英語はそれなりにできました。

2007年と言えば中国の経済成長の早さに世界中が注目していた時でしたので、英語の他に中国語もできたら仕事で役に立つかと考えたのです。実際、仕事で中国からの電話は多くありましたが相手の方は英語ができないことも多かったのです。

 

  ちなみに当時の中国語レベルはゼロです。中国の事も、中国語も全くわからない赤ちゃん状態でした。たぶん、普通の日本人なら中年女が中国で語学留学するなんて突飛な発想ありませんね。当時のエネルギーが何だったのか、おそらく自分の置かれた環境、つまり“逆境”だったのではないかと思うのですが、前向きに考えれば日本のバブル経済を経験できなかった自分が異国で急成長の様子を肉眼で確認できる最後のチャンスと思ったのも事実です。

 

 

  広州を訪れる前まではただの旅行と考えていたものが、突然、広州に住みたいと考えるようになりました。

語学留学するなら36歳はもうラストチャンスだと思い、迷いはほとんどありませんでした。時間が無い、1年でビジネスレベルまで上達して帰国する、そう決めてから実際に留学開始するまで3ヶ月半というスピードで再度広州へ渡ったのです。

  1年の予定がまさかプラス10年、11年間となるとは思ってもみませんでしたが・・・・・

 

初広州の印象

 

 

  初めて中国に渡った際には興味も無かったため下調べもせず何も予備知識が無い状態で印象は以下の通りでした。

 

(空港から外に出てすぐに)うわっ、空気が臭う

 

   2007年当時の広州は空気が悪く、1年のうち青空が見えたのは2−3日ぐらいだったと思います。晴れてもグレーの空で、明るいけど太陽がどこにいるかわからない状態したね。それが年々改善され、今では青空が見えることは稀ではなくなっています。広州政府が環境改善を行った成果なのでしょう。ちなみに北京や上海に比べると華南は空気が良いと言われています。深圳も空気はそれほど悪くありません。海側の浜風があるためかわかりませんが、広州よりも良い印象です。

 

 

暑い(気候)

 

  広州は台湾より南、香港ホンハムから遅い電車(通称:直通列車)で2時間弱の位置にあります。つまり、暑い地域です。1−3月は比較的寒く、一番寒い2月には4、5度ぐらいまで下がります。暖房がなければ辛く、ダウンジャケットが必要ですし売られています。4月ぐらいから蒸し暑くなり、雨期のスコールも驚く程降る雨で毎年どこかの都市で洪水が起きます。4月から半袖で過ごすことが多くなり、湿度80度以上が9月下旬頃まで続きます。10月頃から多少過ごし易くなり、11月—12月は一年で一番過ごし易い爽やかな気候となります。

時々暑い日がくると12月でも半袖で過ごすことがあります。

  広州は内陸にあるため、香港や深圳と比べると夏は1−2度気温が高く、冬は1−2度寒いです。

  初広州は5月だったため、スコール+蒸し暑さで日本人にはかなり不快な環境でした。真夏の蒸し暑さも慣れるのに3年ぐらいかかりました。

基本日中は出歩かず昼寝をし、夜になると外に出て涼む習慣があるので夜10時くらいでもお年寄りや子供がマンションの下や公園で涼んでいる光景を見ることができます。深圳、香港においても同様で、夜中12時頃に香港の道端で90歳ぐらいのご婦人が涼んでいたのを見た時は驚きました。でも裏を返せば夜も安全であることの現れかと思います。

 

 

お茶がぬるくて甘い

 

  華南地方は蒸し暑く身体に熱気がこもり易くそれにより体調を崩し易いのですがそれを中国医学(漢方)では上火と言います(どうやら上海や北の人にはこの考えは無いようで華南特有の生活の知恵のようです)。上火を解消することを下火(身体にこもった熱気を出すこと)と言いますが、下火のために華南でよく飲まれているのが漢方の薬草がたくさん入った涼茶という飲み物です。

香港や華南地方では、小さい店舗にてやかんで煎じた黒いお茶を紙コップやペットボトルで販売しています。これらは本格的で多くは苦い涼茶ですが、スーパーで買えるパック詰めの涼茶もあり、王老吉という商標の涼茶が最も有名です。

  わたしが広州空港に到着した時、友人がドライバー付きで迎えに来てくれました。そのドライバーさんが広州は暑いだろうと差し入れてくれたのが王老吉だったのですが、最初の一口で驚きました。たぶん華南に訪れた日本人あるあるです。

  

  飲み物は常温、お茶が甘い

 

でもお気遣いで差し入れていただいた物だったのでありがたく全部飲みましたよ。

なぜ常温なのかという点については漢方の教えが入っているので健康のためと説明しておきますが、漢方についてはいつか記載するかもしれません。

 

 

以上3点が10年以上経った今でも強烈に覚えている印象です。

 

 

 

 

2007年初中国大陸、行き先は広東省広州市だった

 

 

 初中国の地は広州市でした。

北京でも上海でもなく、広州市。中国第三の都市、広州市。第三の都市ではあるけれど、広州市を知らない日本人はたくさんいるのではないでしょうか。

わたしも実はほぼ全くと言って良い程知りませんでした。

ただ、そこには日本人の友人が2人住んでいて(一人は駐在員、一人は語学留学)、気晴らしに訪れることにしたのでした。

 

広州ってどんなところ?

 広州市といえば、中国のデトロイトと当時から言われていました。

日系をはじめとした自動車メーカーが進出し工場を構えています。日本のトヨタ、ホンダ、日産、日野の工場があります。ということは、自動車メーカーと一緒に部品メーカーや物流会社も一緒に日本から進出しており、実は日本人が多く住む都市です。

当時は日本人人口が5,000万人程とも聞こえてきていましたが、非登録数も含めるとかなりの日本人がいると思われます。そのため、日本領事館、日本人学校、日本人向け診療所等があり、日本人にとって広州での生活は不便のないものであったことは意外でした。

 地理的には、広州市の南隣は佛山市、東隣は世界の工場と呼ばれるトンガン市、その南東はIT先進都市の深圳市、深圳市の北東に恵州市、更に中山市、珠海市、肇庆市があり、いずれも多くの日系企業が工場を構えており、そこにビジネスチャンスを見いだす非工場系の日系企業も多く進出しています。

この地域は香港、マカオとも隣接しており、一帯は珠三角と呼ばれています。

 

広州市概要

 広州市の面積は百度(BAIDU)調べで7,434km²、東京都の面積は2,188km²、広州市の人口は1,490.44万 (2018年)、東京都の人口は1,385万人ですから、比較してみるとその規模が想像し易いと思います。

 

以下は2019年度第一四半期の中国各都市におけるGDP比較の統計表です。こちらでは広州市は中国国内第四位です。いつの間にか深圳に追い越されていたようですね。

広州市の2018年度GDPは22,859.35億元ですので、1元15円と仮定して計算すると、34兆2,890億2,500万円です。一人あたり約230万円ですね。

(以下表の単位は億元です)

 

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ちなみに東京都のGDPも調べてみたところ以下のとおりでした。

 

平成30年度(2018年度) 都内総生産(名目) 108兆2千億円

一人当たりのGDPは780万円ですね。広州市の約3.4倍です。その差は今後も年々縮まることでしょうね。